熱血厨房 海猿 の日記
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店主!驚愕の真実を語る!!①
2011.04.06
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って、大げさなタイトルですが店主の昔の話なんです(笑)
30歳の時独立し、はじめて熊本に店舗を構えた時
その15坪程の店は熊本アーケード下通りから路地に入り風俗店に囲まれたビルの3階の一番奥にあり家賃も天神並に高く
『こんな店、誰がやるんじゃ?』
などと思っておりますと、成り行きで僕が経営する事になりました。
最初の半年ほどは、ガッチリ暇で夕方6時から朝の6時の12時間営業にもかかわらず入客2組なんて日もあり当時19歳だった男の相棒と二人で掃除をしたりボーッとする日が多かったと思います。
街中ではありましたが、なんせヘンピな場所なので僕と相棒は毎月発刊される企業向けのフリーペーパーで宴会を取る作戦にでたのですが居酒屋営業はプロの僕達も広告に関しては、ド素人…最初のうちは、あまり効果が出ませんでした。
そうしてる間に12時間営業で来店された2組のうちの1組の、お客さんが他の お客さんを連れて来てくれたり、なんせ暇なんでお喋り好きな相棒が、ベラベラ喋ったお客さんが団体を連れて来てくれたりして何とか首の皮一枚繋がってた、その年の7月
一本の電話が鳴りました。
その電話は宴会の予約の電話で、その電話を切った後も電話は鳴り続け2週間先の予約までビッシリになりました!
その店は、カウンター6席座敷15席個室4名席の店だったので宴会が2組でも入ればカウンターしか空いておらず、さすがに半年も営業してたので、それなりに固定客も付いていたので始めの暇な頃の常連さんが入店できない日も多くなり、そんなお客さんに限って入店でき無くても何回も何回も店に来てくれて
『前は暇だったのに沢山、お客さんが増えて良かったね~』
なんて、言ってもらえ自分の事の様に喜んでくれました。
店の営業も僕は料理専門 相棒は接客専門の分担作業でアルバイトの子たちとも協力しビックリする位の売り上げを続け、あっと言う間に繁盛店の仲間入りして5年間(のちに相棒とは別れ福岡で一年、ももち浜のお店っのを経営するのですが…)
僕は、この店を経営してる5年間
店主として、もっとも大切で大事な事を忘れていたのです。
つづく